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天皇生前退位について

今上天皇が,生前退位の意向を示しているという。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6207549
ちょっと深読みかもしれないが,理由を考えてみる。

第一に,皇太子の年齢が大きな要素の一つではないだろうか。
天皇の崩御(亡くなる)のいつになる当然かわからないが,皇太子が天皇の役割を覚えるには,早いにこしたことはない。皇太子の年齢は,今上天皇が即位した年齢とほぼ同じである。
おそらく,陛下も「自分なりの天皇の役割」を確立するのに苦労したという思いがあるのではないだろうか。仮に,天皇崩御後の即位が10年先になるとしたら,天皇を始める年齢は66歳である。普通に考えれば,相当苦労されるだろう。それを見越しての判断ではないだろうか。

第二に,社会への影響を考えてのことではないだろうか。
現状のまま天皇崩御を迎えると,(昭和天皇崩御時と同様なら)崩御翌日から新しい元号となる。社会は対応できるだろうか。
四半世紀前と比べて,圧倒的にコンピュータの時代である。あらゆるシステムを一気に書き換える必要がある。当然ながら,崩御翌日までにアップデート完了なんてことは現実的ではないので,企業によって差が出る。相当な混乱が予想される。もちろん,準備をすればいいのだが,天皇崩御を前提とした準備は「やりにくい」だろう。
この問題を生前退位で一気に解決する。当然,何年も前から日付単位で元号が変わる時がわかるのだから,社会全体での準備が容易となる。不謹慎でもない。

とこんなことが思ってみた。こんなことを考えての決断かもしれないと思うとやはり天皇はすごいなと。

認知症裁判(JR事故死)

認知症の男性が電車(JR東海)にはねられる事故で,その遅延損害をJRが家族に請求できるかという裁判

判決文(最高裁)
http://www.courts.go.jp/saikosai/vcms_lf/rinji_hanrei_280301.pdf
→家族に賠償責任はないとする判決


結構難しい話だと思う。 今回は,JR東海という大企業であったから何百万円程度は,相対的に大きな負担ではない(むしろ裁判費用の方が多いくらい?)が,例えば,損害を被ったのが中小零細企業だったらどうだろうか。もっと言えば,人の命に関わるような被害が出たらどうだろうか。

個人的には,この判決は正しい(道理にかなう)と思うし,実際に高齢の妻や別居の長男に責任が及ぶとなると,認知症の患者は鎖でくくりつけておけということになる。
誰も悪くないとして,発生した損害を誰が埋めるのか。これは社会全体で負担するべきことだと思う。

テクノロジーが発達して,理不尽なことが減り,理不尽さへの耐性がなくなっていて,何かと原因(犯人)探しをしているように思う。それでも,今回のようなことは起こる。原因と結果の論理から離れ,全員でリスクを分け合うべきではないだろうか。 

産経新聞支局長 無罪判決(韓国)

それはそうでしょうね。
さすがに。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151217-00000046-mai-int
 

数値目標の意味

朝日新聞の記事
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「出生率1.8」に波紋 地方創生「長期ビジョン」に明記 政権「数値目標でない」
2014年11月14日
http://www.asahi.com/articles/DA3S11454221.html 
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この記事に対する反論?も
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夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2014/11/post-be2c.html
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「出生率の数値目標を掲げるか否か」は,ずいぶん前から言われていること。↑の記事にも書いているように,人権(出産の自己決定権の)侵害ではないかという議論。しかし,個人の自由を認めながら,国全体の総和(平均) についての"目標"を掲げることは,いくらでもある。すぐに浮かぶのは,GDP(GNP)だろうか。個人に去年より2%多く働け(成果物の価値を2%上げろ)と言えば問題になるだろうが,国の経済成長率目標を掲げない内閣は,むしろ無責任だろう。

1「政府が出生率1.4を問題視する」ことは非難されない。
2「政府が出生率を上げることを重点課題とする」ことは非難されない。
3「政府が出生率を◯◯まで上げることを目標とする」ことは非難される。 

1,2,3の違いは何なだろうか。
現状認識→課題発見→解決策の提示という展開なら,1が出た時点で3はほぼ必然であり, 問題はないはずである。論理的とか合理的とかいうリクツの世界では。

おそらく,数字がもつ冷酷さ(と他言語と比べたときの異常な明確さ,遊びのなさ)が反感を買うんだろうなと思う。
3は非常に直接的(な印象を受ける)。何が直接的かというと,1と2では「女性が産もうと思えない社会が悪い」というニュアンスがある(と解釈できる),一方で,3(数字が含まれる文)では数字を算出する定義そのものに視点(意識)が集中する。だから,3'として「出生率が◯◯まで上昇するよう社会を改善する」とでもするといいのではないだろうか。 
そもそも政府が現実的にできるのは,社会の改善しかない。 

政治(なんでもそうだけど)はリクツだけでは通らないなと改めて実感。 

道の駅で毒きのこ

滋賀県の道の駅で販売したキノコのパックに、有毒のツキヨタケが混入していたという話

やはりこれで,道の駅でモノを売ることに関する規制を強めようという動きもあるみたいですが,そろそろ「安全性の上限」を認め(決め)てもいいかもしれないと思うときがあります。

コストは求める安全性に対して急激に増加します(もちろん安全性の測り方(なにをもって安全とするか)にもよりますが) いわゆる食品工場で達成されている安全性を求めると,道の駅で道の駅的な食べ物はまともな値段では売れないでしょう。

それこそ地元の野菜を使用した大手食品会社制のカップ麺位が限度? 安全性の下限はないといけませんが,それ以上は効用や好みとの兼ね合いで選択制とするべきかなと。正論でなくて自由意思でものを選びたいことある。


 

続・競馬に課税?

前に統計を駆使して競馬で勝った人に課税しなくていいいんじゃない?というようなことを書いたが,それに関する続報?

http://www.yomiuri.co.jp/national/20141002-OYT1T50099.html

個人的には支持できる判決。よかった。

アイスバケツチャレンジ

アイスバケツチャレンジが話題
wikipediaのページ
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アイス・バケツ・チャレンジIce Bucket Challenge)あるいはALSアイス・バケツ・チャレンジALS Ice Bucket Challenge)は、バケツに入った氷水を頭からかけるか、アメリカALS協会に寄付するという筋萎縮性側索硬化症(ALS)支援運動のひとつ。
*****

とのこと。この運動に対して世の中は賛否両論。チャリティーなんで賛成の人もたくさんいるが,否定派は・・・
「偽善だ」とか「売名行為だ」とか「他にも難病はたくさんある」とか「チェーンメールだ」とか。

たしかにそのような見方はできるし,それぞれの意見に正しいところはある。しかし,私はこう考えたい(解釈したい)と思う。自由意志による満足の購入なんだと。Facebookの「こんな美味しいもの食べましたー。」という投稿と同じなんだと。

全世界に氷水をかぶったり寄付したことを晒しているんだから,自分に注目してほしい気持ちはあるのは間違いない。そんなSNS時代の人間の行動と真理を上手く掴んだマーケティングだと思えばいいんじゃないだろうか。発案者(達)は,素晴らしいアイディアでALS研究のためにお金を集めたということ。

この行為が善か偽善かなんてことを考えるのもいいが,そのコストはすぐに100ドルを超えそう。しかも結論は高い確率で「善とも偽善とも解釈できる」ってところだろう。だったら,さっさとやってしまうのも一つの考え方。現代の経済やSNSは善悪(正義不正義)関係無しにお金や情報を回してしまうし,不平等だ。その反面,とにかくスピードが速い。
もし,国家が「難病の研究にどのように資金を分配するか。その資金をどこから調達するか」なんて議論をするなら,年単位の時間がかかる。議論自体にコストもかかる。みんなの納得のためには"議論を尽くす"というのは重要ではあるが・・・それをして,どれほどスバラシイ結論が得られるだろうか??

このアイディアなら,少なくとも,お金を払う人は納得している。
自腹で高級ステーキを食べるように。
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