2014年11月

くるくるしこうはまわります。
考え抜いたと思ったら、出発点に戻っていたり。



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著作物と相互作用

こんな記事を発見。
自分は,法に関してはまったくの素人だが,紹介している本をちょっと読みたくなった。

企業法務戦士の雑感
[企業法務][知財][書籍]「7年」という月日が変えたもの、変えなかったもの
~中山信弘『著作権法』〔第2版〕より
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20141121 

法が時代に追いついていないという議論はありふれているが,著作権に関しては,とくにこの問題が顕著。

原理的に考えれば,人間が無からモノを生み出すことはあり得ないので,ある著作物は,別の著作物と人間(多くの場合は,多くの著作物と多くの人間)との相互作用の産物といえる。しかし,経済社会においては,特定の所有者(権利者)が存在しなければならない。(決めなければならない)

従来(おもに印刷物,マスメディアを媒体とした世の中)のように,社会が
・絶対的な著作物の数が少ない
・ゆえに社会全体として相互作用(引用)の数が少ない
・1著作物当たりの消費者の数が多い
・著作物の(平均的な)鮮度が長い
といった性質をもっているならば(もちろん,現代と比較してだが),各相互作用において権利者等確定のために,それなりコストをかけることも合理的だろうとは思う。

しかし,引用の総数の桁が変われば,適切な運用方法も変わって当然。
フェアユースの導入も一つの方法ではあると思うが,個人的には広く薄くかつ低コストで引用される側の実入りが確保されるようなスキーム・技術が開発されることが望ましいと思っている。(簡単にできるなら誰かがやってるだろうが。。) 

数値目標の意味

朝日新聞の記事
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「出生率1.8」に波紋 地方創生「長期ビジョン」に明記 政権「数値目標でない」
2014年11月14日
http://www.asahi.com/articles/DA3S11454221.html 
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この記事に対する反論?も
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夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介
http://analyticalsociaboy.txt-nifty.com/yoakemaeka/2014/11/post-be2c.html
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「出生率の数値目標を掲げるか否か」は,ずいぶん前から言われていること。↑の記事にも書いているように,人権(出産の自己決定権の)侵害ではないかという議論。しかし,個人の自由を認めながら,国全体の総和(平均) についての"目標"を掲げることは,いくらでもある。すぐに浮かぶのは,GDP(GNP)だろうか。個人に去年より2%多く働け(成果物の価値を2%上げろ)と言えば問題になるだろうが,国の経済成長率目標を掲げない内閣は,むしろ無責任だろう。

1「政府が出生率1.4を問題視する」ことは非難されない。
2「政府が出生率を上げることを重点課題とする」ことは非難されない。
3「政府が出生率を◯◯まで上げることを目標とする」ことは非難される。 

1,2,3の違いは何なだろうか。
現状認識→課題発見→解決策の提示という展開なら,1が出た時点で3はほぼ必然であり, 問題はないはずである。論理的とか合理的とかいうリクツの世界では。

おそらく,数字がもつ冷酷さ(と他言語と比べたときの異常な明確さ,遊びのなさ)が反感を買うんだろうなと思う。
3は非常に直接的(な印象を受ける)。何が直接的かというと,1と2では「女性が産もうと思えない社会が悪い」というニュアンスがある(と解釈できる),一方で,3(数字が含まれる文)では数字を算出する定義そのものに視点(意識)が集中する。だから,3'として「出生率が◯◯まで上昇するよう社会を改善する」とでもするといいのではないだろうか。 
そもそも政府が現実的にできるのは,社会の改善しかない。 

政治(なんでもそうだけど)はリクツだけでは通らないなと改めて実感。 
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