2014年03月

くるくるしこうはまわります。
考え抜いたと思ったら、出発点に戻っていたり。



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ウソ・本当 佐村河内守さん 小保方さん そしてホリエモン。

最近,世間を賑わせているお二人。聞こえない作曲家佐村河内守さん,世紀の大発見をした学者小保方さん。そして,とばっちり(?)で著作がゴーストライターの書いたものだとばらされたホリエモン。しかし,みんなそれぞれにウソをついていた(ということになっている)が世間の反応は様々。

一連の騒動を眺めると,著作物には大きく2種類の価値があるような気がしてくる。「表現されるもの」と「表現の仕方」だ。どちらに重きがおかれるかは著作物によりけり。

ホリエモンの本では「表現されるもの」であるホリエモンの考え方が重要なのであり,(極端にいえば)それがどのような趣の文章で表現されるかはどうでもいい。したがって「表現されるもの」の出所であるホリエモンが文字を並べていなくても(文章を作っていなくても),ホリエモンは著者と名乗って問題ないのだろう。

では,学者である小保方さんの場合はどうだろうか。今回の騒動では「表現されるもの」である研究結果も, 論文の「表現の仕方」にも問題があるらしい。だが,もし,「表現されるもの」である発見の中身が正しければ(他の研究所で実験が再現されていれば),「表現の仕方」の不備である写真の流用等は"些細なミス"で済んだだろうし,学位論文のコピペも不問だろう。(むしろ,研究の本質とは関係ない部分は効率的に処理した新時代の研究者だ,と好意的に扱われたかもしれない。)

最後に佐村河内守さん。このケースは難しい。シンプルにいうなら,彼がホリエモンと同じような仕事をしたかどうかが問題なんだろう。「表現の仕方」である楽譜を彼が書いたかどうかは,おそらく問題ではない。佐村河内守さんが鼻歌等で「表現されるもの」を新垣さんに伝え,新垣さんが譜面に起こしていたなら多分世間はここまで騒がない。では,壮大かつ人間の悲しみを表す曲を,というような言葉でのオーダーだったらどうだろうか。許してくれないだろう。。
芸術は「表現の仕方」により価値を見出される場合がある。たとえば,夏目漱石の「こころ」は,人間のさみしさを表したものだと思うが,人間のさみしさ自体は誰でも知っていることで,それを巧に表現したことに価値があるのだ。

価値の境界線は,表現の主体と対象境界線と一致するとは限らないということ?


※もはや,真実が何かわからない状況なので新事実がでたらお知らせを。

努力の必要条件と価値

努力には必要条件がいくつかあると思う。

まず,努力は実らない可能性がある程度なくてはならない。必ず(または非常に高い確率で)結果に結びつくのであれば,それは作業である。

次に,努力はある程度の時間を消費しなければならない。時間を必要としない(かつ最初の必要条件を満たしている)のであれば,それはギャンブルである。

結果が出ないかもしれないにも関わらず,時間を消費することに,我々は価値を見いだすのだと思う。人生の時間は,お金(資産)とは違いそれほど個人差がない。最も長生きする人でも平均の2倍程度である。ビルゲイツであっても資産ほどには時間を所有することができない。つまり,時間は比較的平等なのだ。だから,貧富の差によらず,2,3年間目標に向かって努力し続ける姿には,尊敬を感じざる得ない。 

トンカツとキャベツと経営と

あるトンカツ屋の主人は,減りつつある客を戻す方法を考えていた。

いろいろと観察していると次のようなことに気がついた。
来店する人のうち定食に付くキャベツを全部食べる人の割合は3割しかいない。ところが,リピーターに限るとキャベツを全部食べる人の割合は5割だ。

この事実から主人は次のような仮説を立てた。
キャベツもしっかり食べてもらえば,お客さんの満足度は高まり,リピーターが増えるのではないか?

そして次のような施策を実行した。
1 少々原価はかさむが,キャベツの質を上げた。
2 キャベツまで食べて満足してもらえるように,キャベツに箸がのびていないお客さんには「キャベツも食べてよお兄さん!!」などと声かけをするようにした。


Q このトンカツ屋の経営は改善するだろうか?

もはや滑稽だ。
しかし,実際の経営ではこのようなことが往々にして起きているのではないだろうか。これほど分かりやすいかどうかは別にして。むしろ,自社商品を愛するほどに陥りやすい落とし穴だ。皿の上のものを全て平らげてもらうのは,確かに幸せなこと。でも,商品の価値・各要素の役割は(それが無意識であったとしても)消費者が決めるものだ。

トンカツ屋の経営は難しそう。 

里見香奈 女流三冠 休場 に思うこと。(正座なの?)

女流棋士の里見香奈さんが,半年間の休場とのこと。
里見さんは"女性の中では"現役最強の将棋指しで間違いない。だが,彼女が注目されているのは,トップ女流棋士だからではない。史上最もプロ棋士に近づいている女性だからこれほど話題になっている。

補足すると,プロ棋士には制度上男女の区別はない。だが,結果として歴史上プロ棋士になれた女性は1人もいない。そんな状況を受けて,将棋普及のねらいもこめて,女流棋士というプロ棋士とはまったく別の制度(ライセンス?)が存在している。
里見香奈さんは,女流棋士としてトップを守りつつ,プロ棋士の養成機関である奨励会に所属し,三段まで昇段を果たしている。四段からプロ棋士だから,まさにあと一歩なのだ。

今回の休場では,様々な憶測が飛び交っているようだが,真実は誰にもわからない。そんな中で週刊文春の記事が興味深かった。今日の本題はこれ。 
里見香奈さんの休場の理由の一つが正座による痛みであるという。真偽は定かではないが,いろいろ考えさせられる説である。
将棋は座布団の上に座って指す。現状全員が男性であるプロ棋士は,対局開始時にはみなさん正座をしているが,必死に考えているときには正座を崩している人も多いようである。将棋の対局は10時間を超えることもザラであるのだから当然である。礼儀を重んじ伝統ある将棋といえども,「足がしびれて(指し手を)間違えた」では興ざめだろう。

IMG_9691


女性はどうか?
想像通り「正座を崩しにくい」らしい。「勝負の世界といえども,女性が股を開いたり脚を放りだして座るのはよくない」というのが,平均的な感覚(美学?)だろう。この感覚を受け入れると長時間の対局では,現実的に男子の方が有利になってしまう。四段になるためには三段の男性陣に将棋で勝たなければならない里見さんにとってはハンデキャップだ。それではこの問題(が存在するとして),どう解決したらいいだろうか? 思い浮かぶのは次のような方法か。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
1 勝負の世界だ!女性も気にせず胡座をかこう。
2 すべての棋士に対局中正座を崩すことを禁止する。
3 すべての棋士に対局中正座をすることを禁止する。
4 椅子を許可する。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
1は何もしないということと一緒。里見さんにはこれくらいの意気込みでいって欲しいが・・
2は平等性はよい。しかし,この方法では棋譜のレベルが下がることはあれ上がることはない。 
3は平等性はよいし,棋譜のレベルを下げることもない。が,これまで正座が基本であった将棋で,正座を禁止にすることには抵抗があるだろう。畳の上に正座して行うことまでを含めて将棋と考える人も多いはず。
結局4が現実的なんだろうと思う。だが,畳の上で使用して違和感がなものでないといけない。さらに,(最も重要なのことは)その上で正座ができないものでないといけない,ということである。この2点をクリアした大人の解決法が求められる。 
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